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2011/05/11

別子銅山 東平地区 2

5月9日(月)に訪れた別子銅山 東平(とうなる)地区の写真の続きです。

東平娯楽場跡


貯鉱庫跡の下部まで降りたあとは、再びインクライン跡の階段を使って駐車場に戻る人が多いのですが、林の中に道が続いていたので、そちらに進んでみました。

最初にあったのがこの娯楽場跡で、この橋の先に相当に大きな建物が建っていたそうです。


  • 1912年 建設
  • 1933年 2階建てから3階建てに改築
  • 1968年 閉館
  • 収容人数:約2,000名

保育園跡


長円形の構造物はミニプールか池の跡なのでしょう。その左側に出入り口の門柱が見えています。


  • 1950年 開設
  • 1968年 閉園
  • 東平地区全域の児童(3歳~小学校入学前)が通園

東平生協跡


左側に柵の一部が残っています。


  • 1906年 配給所として開設
  • 1958,06,01 配給所から生協に
  • 1968年 閉店
  • 物資は山麓の端出場から索道東平索道基地に届けられ、インクライン経由で店先へ

住友別子病院東平分院跡


山中の、しかも危険を伴う仕事場に設けられた病院ということで、充実した設備を備えていたようです。


  • 1905,11,01 東平出張所として開設
  • 1909,06 新築され竣工
    • 診療科:内科・外科
    • 本館・病室敷地面積:267.8坪(建物面積:167.32坪)
    • 避病舎敷地面積:97.9坪(建物面積:53.42坪)
    • 普通病室数:12床
    • 隔離病室数:2床
    • 避病舎:9床
    • 医師・職員:内科1名・外科1名・看護士1名・調剤士1名・事務1名
  • 1968,03,31 閉鎖

プラットホーム跡


東平地区見物のメインとなる駐車場は、かつて鉱山鉄道の基地だったところです。写真左側の歩道と花壇のような場所にホームがあり、ここで列車に乗り降りしていたようです。

ここから第三通洞を経て日浦へと電車が通じていたんですね~。所要時間は30分ほどだったようです。

写真の右端に乗ってきたバイクが写っています。


  • 1938年 作業員用の「人車」の後ろに「かご電車」が連結されるようになる
  • 1968年 東平坑の閉坑に伴い、1日2便に
  • 1973年 廃止
  • 朝・昼・夕方の1日3便
  • 特別電車(「特電」)の運行有り
  • 東平プラットホーム~小マンプ(プール下のトンネル)~中マンプ(喜三谷のトンネル)~第三通洞~日浦

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,11の日記

らーめん まるや松本市和田)で「とんこつチャーシュー」を食べて、その写真を載せています。