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2011/05/27

鳴石

鷽ノ口円形分水佐久穂町)を堪能したあとは国道141号線に出て、北上。国道142号線を経て主要地方道40号線で南下。女神湖方面を目指しました。途中で、今回のツーリングの目的地のひとつである「鳴石」(立科町)に立ち寄りました。

ソフトクリームなどを販売している売店の駐車場から、北側に100mほど入った林の中にあります。「雨境峠祭祀遺跡群」のひとつで、ここで神の降臨を願ったりするなどの祭礼が行われたそうです。

  • 「雨境峠祭祀遺跡群」・・・他に「鉤引石」・「賽の河原」・「与惣塚」・「法印塚」など

周辺では勾玉が多く出土したことから、このあたりは「勾玉原」とも呼ばれるとか。けっこう標高の高い場所ですが、大昔から人々が活動していたんですね~。

案内板のある方からすると裏側ということになるのですが、こちらのほうが不思議感があるので、ひょっとするとこちらが表側(祭祀に際して、人々が集う側)だったのではないかとも思ったのですが、どうだったのでしょう。

2011,05,25 撮影


2010/05/22

阿弥陀堂へ

昨日(5月21日)(→2010,05,21 「神戸の大イチョウ」)の続きです。

神戸の大イチョウを訪れたあとは、映画『阿弥陀堂だより』でおうめ婆さん(北林谷栄)が暮らしていた阿弥陀堂へ向かいました。ここに来るのは、早いもので2005年以来のこととなりました。

石仏


阿弥陀堂に続く道は、万仏山への登山道でもあります。古くから信仰を集めた山のようで、道の両側にはこのように石仏が並んでいます。台座に白い紙が見えていますが、そこには「第○番」と書いてありました。

阿弥陀堂


おうめさんが姿を現しそうな雰囲気が残っています。

逆方向からの様子です。

阿弥陀堂の縁側に座って眺めた風景です。おうめ婆さんはもちろん、阿弥陀堂を訪ねてきた上田孝夫(寺尾聡)・美智子(樋口可南子)夫婦、そして「阿弥陀堂だより」を書く小百合(小西真奈美)もこの風景を見たのかもしれませんね〜。

お堂の内部です。映画関係のポスターなども置かれていました。

三部社


阿弥陀堂の裏手には、三部社(さんべしゃ)へと続く道があります。

福島新田の棚田


阿弥陀堂からは、すぐ近くの福島新田の棚田を通って帰りました。

田植えはこれから。ちょうど代かき作業が進められていました。

福島新田から見る千曲川です。福島集落の家々の屋根が見えています。


2010/04/14

二十三夜塔と常念岳

右端が二十三夜塔です。左端は、影がかかってしまいましたが双体道祖神。そして、中央の二つは庚申供養塔とそれに関係する石像(見ざる・聞かざる・言わざるのサル三態が彫られています)です。

後ろには常念岳(左側)と横通岳が並んで見えています。


2009/12/03

酒器像

昨日撮った写真です。

安曇野で見られる双体道祖神にはいくつかのタイプがありますが、これは「酒器像」に分類されるタイプだと思います。左が女性神、右が男性神で、互いの肩に手を載せています。


2009/09/25

双体道祖神

いわゆる「酒器像」というタイプの双体道祖神だと思います。向かって左側が女性神で、手に徳利を持っています。右側の男性神は左手に杯を持っていて、右手は女性神を抱き寄せるような形で肩の上に置かれています。

2009/07/28

供えられた花

やや離れた場所にあるふたつの道祖神。花をお供えしたのは、ひょっとすると同じ人でしょうか。

道祖神」と彫られているだけの、シンプルといえばシンプルな文字道祖神です。

こちらは双体道祖神ですが、左側の女性神が跪いている珍しいタイプです。


2009/05/20

明野


灰焼きおやき


八坂大滝から信州金熊温泉 明日香荘に行き、昼食代わりに買った灰焼きおやきです。秋に買うと中身がおからの場合が多いような気がするのですが、今回はナスでした。

食べる場所を探していて、見つけたのが大町市八坂の明野地区入口にあるベンチです。

藤棚


ベンチの上は藤棚になっていました。フジの花というのは撮りかたが難しいというか、どこにカメラを向ければいいのか混乱してしまうようなところがあります。

道祖神


明野地区の入口に並ぶ双体道祖神です。これほど大きな傘が作られているのは珍しいような気もします。

道祖神のひとつをアップで。手を固く握りあっている握手像でしょうか。

藁の角樽


生坂村の会という地区だと思うのですが、諏訪神明社という神社があって、そこで撮った写真です。

杉でしょうか、大木の根元に石像が祀られていて、藁で作られた角樽が飾られていました。

2009/05/11

芦ノ尻

聖湖からは県道501号線で長野市大岡(旧大岡村)に向かいました。

神面道祖神


久しぶりにここに来ました。

神面装飾道祖神とも言います。正月飾りの注連縄を各戸から集めてきて、このような姿を作りあげるのだそうです。神面の下は「道祖神」という文字が刻まれた文字道祖神の石です。三枚重ねの杯、鯛、そしてお神酒樽がそれぞれワラで作られてお供えしてあります。

双体道祖神


神面道祖神のすぐ横にある小さな双体道祖神です。ここに来るたびに写真を撮っています。

蓮華岳から爺ヶ岳


長野市大岡は北アルプスの好展望地でもあります。神面道祖神の視線の先にあるのも北アルプスの山並み。

写真の左側が蓮華岳で、右側が爺ヶ岳です。

2009/05/01

明日香村 散策 2

昨日の続きです。→2009,04,30 「明日香村 散策 1」

橘寺


石舞台古墳を見たあとは、この橘寺へ。

橘寺は、聖徳太子が父の用明天皇の別宮を寺として再利用したものだそうで、当初は壮大な規模の寺だったようです。

この写真は、西門のほうから橘寺を撮ったものです。

二面石


橘寺には重要文化財がいくつもあるのですが、今回のお目当ては境内にあるこの二面石

向かって右側が「善」の顔、左側が「悪」の顔だそうです。

右の「善面」です。あまり善人の表情には見えないような気もしますが・・・。

こちらが「悪面」。どうでしょうか?

亀石


民家に隣接する場所にあります。愛嬌のある顔と姿ですが、こんなに大きな岩を亀(カエルという説もあるようです)のカタチに加工しようとした目的はなんだったのでしょう。実用性があるかもしれない酒船石よりも不思議な存在です。

鬼の俎


道路脇のほんの少しだけ登ったところにあります。

下の鬼の雪隠と組み合わされて古墳の石室を構成していたようです。この鬼の俎が底石ということのようですから、古墳はこちらにあって、鬼の雪隠のほうが下に移動させられた(落ちた?)のかもしれません。

鬼の雪隠


このように置いてありますが、本来の向きがどうだったのかはよくわかりませんでした。

こんなに大きな石を鬼の俎と組み合わせることができるように加工してあるわけですから、当時の技術というのは凄いものです。

鬼の雪隠の場所から南の方向の眺めです。このあたりには小さな山や丘がたくさんあるのですが、そのどれもが古墳のように思えてきてしまいます。

蘇我入鹿首塚


蘇我入鹿は大化の改新のキッカケとなる乙巳の変(いっしのへん)で中大兄皇子や中臣鎌足らに斬殺されるわけですが、その入鹿の首塚とされている場所です。

背後に見えている林は甘樫丘(あまかしのおか)という丘で、ここに蘇我氏の邸宅があったそうです。

飛鳥寺


蘇我入鹿の首塚からはすぐそばです。蘇我氏の氏寺だったそうですが、この境内で後に蘇我氏を討つことになる中大兄皇子と中臣鎌足が初めて出会ったという話もあって歴史の妙を感じる場所です。

2008/11/15

神代文字道祖神


安曇野市豊科のJR東日本大糸線南豊科駅の西側にあります。随分前に同じような写真を載せたことがありました。

神代文字というのは、この道祖神の場合は阿比留文字と呼ばれるものです。「神代」と付いていることから漢字伝来以前の日本固有の文字というイメージが湧いてきますが、さにあらず。詳しくはコチラをご覧ください。

ちなみに、この石に刻まれているのは以下の3人の神サマです。

  • ヤチマタヒコノカミ
  • ヤチマタヒメノカミ
  • クナトノカミ

『古事記』と『日本書紀』では少し登場の場面が異なるようですが、いずれの神サマもイザナギが黄泉の国から生還した際に生まれています。

  • ヤチマタヒコノカミとヤチマタヒメノカミはイザナギが禊ぎをする際に脱いだ褌から
  • クナトノカミはイザナギが持っていた杖から

ようするに、この世とあの世の境界の、どちらかというとギリギリこの世側で生まれた神サマ達であるわけです。ということで、死に繋がるような災いの守り神として信仰を集めるようになったのではないでしょうかね〜。

阿比留文字のフォントを配布しているサイトもいくつかあるようです。照合してみるのも面白いかもしれません。


2007/11/08

向い道祖神

バイク塩尻市の小曽部に行ってきました。数年ぶりに訪れたわけですが、この集落というか道路沿いというのは、このあたりではかなりディープな場所ではないでしょうかね〜。良い雰囲気です。

道の奥には「白滝」と呼ばれる滝があるとかで一度見てみたいと思っていたのですが、工事中で通行止めになっていました。ひょっとしたら滝見物だけなら通れたのかもしれませんが、面倒なので引き返しました。いずれ再チャレンジするつもりです。

酒器像


わかりにくいと思いますが、左側の女性神が徳利を、右側の男性神が杯を持っています。特徴的なのは杯がちゃんとお椀のようにくりぬいてあって、実際に酒や水が溜まるようになっていることです。こうしたのは他では見たことがないような気がします。

握手像


上の双体道祖神とは道をはさんで反対側にあります。そのために「向い道祖神」というのでしょうか。

2007/10/12

千羽鶴


地元のヒト達に大切にされているようです。すぐ横にわりと大きなお堂が建っているのですが、なにも説明書きが無いため、これがお地蔵さんなのか観音様なのか、あるいは別の仏さまなのか何もわかりませんでした。

2007/10/02

大黒天像


以前から気になっていた大黒天像です。かなりクルマの往来が激しく、また路側帯がほとんど無いような道路沿いにあるために、これまで写真を撮るのを避けていました。きょうは通りかかった時間が良かったのか、写真を撮っている間はクルマが1台も通りませんでした。

ブドウとトマト、小銭が供えられています。

2007/09/24

交換された鳥居

9月6日に新しい2基の鳥居が準備されている写真を載せましたが(→2007,09,06 「鳥居」)、きょうその設置工事が行われていました。

奥に見えるのは千手観音でしょうか。左右の岩に刻まれている文字は不明です。左側は「御嶽山大権現」と刻まれているのかもしれません。

そして、もう一つ。用意されていた2基のうちの大きい方がこちらに使われたようです。

2007/09/19

魏石鬼岩窟


有明山神社のあとに訪れました。18日の撮影です。

魏石鬼岩窟


「ぎしきのいわや」と読みます。八面大王がたてこもっていたとも伝えらる場所ですが、横穴式石室を備えた古墳です。花崗岩を組んだ古墳で、地元ではこの立ち入り禁止の穴に入ると祟りがあると言われているそうです。石室入り口の上に彫刻がいくつか見えています。

磨崖仏


上の岩窟の側面に彫られていた像です。磨崖仏というには大袈裟かもしれませんが・・・。

きのこ


魏石鬼岩窟に至る遊歩道の脇で撮りました。

ここの山は「止山」となっていて、遊歩道沿いに立ち入りを禁止するテープが張り巡らされていましたが、切れたテープが絡み合ったり風になびいていたりしていて、景観上は非常にマズいことになっています。安曇野の歴史巡りを楽しむ上で非常に重要な場所なので、これはなんとか対策を考えて欲しいところです。

2007/09/18

山崎諏訪社


17日の撮影です。

例祭


満願寺から市街地に下る途中で寄りました。小さな社です。

双体道祖神


同じ敷地にある道祖神です。顔を見ると二人とも若いように見えます。

2007/09/16

宝篋印塔


安曇野市堀金の「大庄屋山口家」の近くです。説明書きによると、1768年に地元の女性20名によって建立されたものだそうです。目的が「関係者百余名の供養のため」と書いてあるのですが、関係者百余名がどういう事態に巻き込まれたのか肝心なことがわかりません。困った説明書きです。

この場所は、今は無い安楽寺の山門があったところでもあります。どういうように伽藍が配置されていたのでしょうか。地形的なことを考えるとかなり見栄えが良かったように思うのですが。

宝篋印塔の背後の山にピークがひとつ写っていますが、岩原城があった場所のようです。

2007/09/14

松本市梓川の滝見堂


バイクでウロウロしていて、ふと目にとまったので立ち寄ってみました。

滝見堂


入り口にバス停があって、停留所の名前は「滝見堂前」だったと思います。ただ、どこに滝があるのか(あったのか)はわかりませんでした。

双体道祖神


滝見堂の入り口の右側、道路沿いにあります。左側の女性神は跪いていて、手には酒器を持っています。男性神の冠や衣の袖口の部分が風になびいているように見えます。

陽石


上の道祖神の左側に並んでいます。これはどう見ても「陽石」でしょう。やはり道路沿いにあるので、以前から存在は気になっていたのですが、ようやく写真に撮ることができました。

2007/09/12

大黒天と文字道祖神


以前にも同じ被写体を撮った写真を載せたことがあるかもしれません。大黒天像というのは象徴的な意味合いがあるそうで、詳しくはWikipediaなどで検索してみてください。

大黒天像と文字道祖神の間にある小さな石像は、陽石かもしれません。