昨年訪れた旧別子銅山に続いて、今年は「東洋のマチュピチュ」とも評される別子銅山の東平(とうなる)地区にバイクで行ってきました。
- 2010,05,05 「旧別子銅山」
撮影は、全て5月9日(月)です。
貯鉱庫跡
東平地区の駐車場(かつての鉱山鉄道の基地)から見下ろした景色です。すぐ下が貯鉱庫の跡で、その下には索道基地のレンガ製の支柱が見えています。
索道は写真左側の谷へと延びて、麓にある現在の"道の駅 マイントピア別子"あたりにあった端出場と呼ばれる施設とを結んでいたようです。
鉱山鉄道で運ばれてきた鉱石は、この穴から下の貯鉱庫内に落とされたのでしょう。
貯鉱庫の下部から上部の駐車場方向を見上げた写真です。「東洋のマチュピチュ」と言われるのもわかるような堂々とした遺構です。
中段に、索道基地跡のレンガの支柱が見えています。
しっかりとした石造り。
右上に索道基地の一部が見えています。
最下部にあるこの不思議なカタチをしたこの施設が、どういう役割を担っていたのかがわかりませんでした。説明書きを見落としてしまっただけかもしれませんが・・・。索道やインクラインなどの運搬施設と関係があるような気もしますが、何でしょうか。
インクライン跡
かつてはここにインクラインと呼ばれるケーブルカーのような施設があったそうです。現在の駐車場は、かつては鉱山鉄道の基地だったわけで、下部にある索道基地とをこのインクラインで結んで様々な物資を運んでいたわけです。
現在は220段の階段となっています。貯鉱庫下部へと向かうメインルートです。
- 1916年 竣工
- 斜長:95m
- 仰角:21度
- 電気巻き上げ式
- 1994年 220段の階段が整備される
索道基地跡
一旦、貯鉱庫に入れられていた鉱石が、ここから山麓の端出場に索道で搬出されていたわけです。
奥の谷の方向に索道が延びていたことになります。
- 2011,05,12 「索道バケット」
レンガの支柱は所々崩れて植物が。自然に還りつつあるようで、良い雰囲気が感じられます。
鉱山住宅跡
貯鉱庫のさらに下段には、鉱山住宅の一部が保存・復元されています。
長屋形式で、この写真に写っているものだと3世帯分。ひとつひとつにかまどがあるのがわかります。かまどの隣が台状になっていますが、そこに炊事用のシンクが置かれていたのかもしれません。
一世帯分のスペースです。手前から、台所兼土間、居間、そして寝室というように2Kくらいの間取りだったようです。居間と寝室は、それぞれ4畳半くらいの広さのように見えましたが、どうでしょう。
共同炊事場の跡でしょうか。
- 2011,05,11 「別子銅山 東平地区 2」