5月9日(月)に訪れた別子銅山 東平(とうなる)地区の写真の続きです。
- 2011,05,10 「別子銅山 東平地区 1」
- 2011,05,11 「別子銅山 東平地区 2」
- 2011,05,12 「別子銅山 東平地区 3」
トンネル
「中マンプ」と呼ばれていたトンネルの喜三谷側の出入り口です。
こちらは旧採鉱本部・第三通洞側の出入り口です(通称「第三広場」にあります)。
第三社宅跡
東平の鉱山電車基地から第三通洞方面に歩いていく途中にある鉱山住宅跡です。「第三社宅」の「第三」というのは、造成・建設の順番ではなく「第三通洞」に由来しているそうです。
- 1921,11,09 9戸の社宅
- 1967年 18戸あった社宅を撤去
東平採鉱本部跡
左側に第三変電所跡が、右側の方に「中マンプ」と呼ばれた喜三谷から続くトンネルの出入り口や火薬庫跡があります。中央が第三通洞方面です。
沢(寛永谷・柳谷)を暗渠として平地(通称「第三広場」)を造成し、2階建ての採鉱本部の他に各種の施設(機械修理工場・木工場等)を建設したそうです。
- 1916年 採鉱本部が東延からここに移される
- 1928年 採鉱本部は東平中心部に移される
- 採鉱本部の建物は東平倶楽部として利用されることに
- 1930年 採鉱本部は山麓の端出場に移される
火薬庫跡
中には爆薬庫・普通火薬庫・火工品庫などがあり、ダイナマイト等が保管されていたそうです。
旧第二探坑坑道を利用した設備で、万が一爆発事故が発生しても爆風が直接外に出ないような構造となっています。
マムシに注意するようにという看板があったので、長居することなく退散しました。
- 1912年 設置
- 1968年 閉鎖
第三変電所跡
この「第三」も、(変電所の順番等ではなく)「第三通洞」に由来しているそうです。
三相交流用の碍子が並んでいます。
機械類は撤去されていますが、内部が当時のまま残されている建物は別子銅山関連施設ではここだけなのだそうです。
階段の向こう側は和室になっています。
1階右奥に進むと、かまどが。さらに進むと、風呂やトイレがありました。
2階の様子です。
入り口近くの窓と壁を撮ってみました。
- 1904,09 建設
- 1965年 閉鎖
第三通洞
第三通洞手前の橋梁部には、鉱山鉄道のレールが残っていました。
標高は744mだそうです。
元々、第三通洞は「三角(みすま)」という鉱床の中の富鉱部を狙って掘られた多目的坑道なのだそうです。
内部は真っ暗でしたが、入り口の柵を利用してカメラを固定して撮ってみました。
このあとは往路を引き返しました。