帰省するたびに一度は行ってしまう満濃池です。
池を眺めながらボ〜っと過ごせるベンチや芝生のスペースでもあればいいのですが・・・。
メインサイト「安曇野の風景と暮らし.XX」のブログ版。
帰省前から楽しみにしていた讃岐ラーメン はまんどに行ったのですが・・・食べたかった「しょうゆ」がメニューから消えてしまっていました。仕方なく(笑)「はまんど」の大盛りを。
旧店舗は、つけ麺専門の"つけめん 萬次郎"というお店になっていました。こちらのほうもけっこうお客さんが入っていましたね〜。
昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2009,04,04の日記
"讃岐ラーメン はまんど 盛"で、「しょうゆ」を食べた時の写真です。近々、帰省する予定なのですが、もちろん食べに行くつもりです。
買ってきたお米です。「あきたこまち」といえば2008年に「萌えキャラ」を採用して話題になったわけですが、このイラストもその延長線上にあるということでしょうか。
前々から欲しいと思っていた満寿屋のハガキサイズ原稿用紙が、ようやく手に入りました。といっても、数種類ある中の2種類だけですが。
左側のコイ(鯉)の品番がM11、右側の障子マスがM2。どちらもルビ無しタイプです。
表紙をめくってみたところ。万年筆はペリカンのスーベレーン M405で、写真のようにキャップをした状態の長さは約12.5cmです。
左側のM11のほうがマス目が小さいのが判るかと思います。
コイ(M11)の罫は3色(20枚ずつ)で、60枚。M2はグレー一色の罫で、50枚です。
左下には「満寿屋製」の文字。障子マスタイプには当初からこの文字が印刷されていたそうですが、模様入りのタイプには発売当初は無かったとか。
裏表紙です(手前が障子マスのM2)。しっかりした厚めの紙が使われています。
「浅草 満寿屋 書き心地にこだわった、満寿屋オリジナルのクリーム紙を使用しております。」という説明。
写真を撮ったあとで試しに家にあるいくつかの万年筆で書いてみましたが、書き味はもちろんのこと、インクの乾く速度の速いことに驚かされました。この原稿用紙、プレゼントとしても喜ばれるのではないでしょうかね〜。
松本市梓川の釈迦堂のシダレザクラです。以前、たしか秋にこの釈迦堂に来たことがあって(→2007,09,16 「釈迦堂」)、その時にこのシダレザクラの存在を知りました。ようやく桜の花が咲いている時期に訪れることができました。
シダレザクラの向こう側に小さく見えているのが釈迦堂です。
安曇野市三郷の小倉地区のシダレザクラです。こちらもほぼ見頃といっていいのではないでしょうか。アマチュアカメラマンがひっきりなしに訪れていました。
4月13日に撮った写真はこちら。→2010,04,13 「小倉のシダレザクラ」
昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2009,04,18の日記
荘内半島をバイクでひと回りした際に紫雲出山にも寄ったのですが、その時の写真を載せています。
雪のためにこのような状態になってしまったのか、それとも水を入れ始めているところなのか、どちらなのかはわかりませんでした。
それにしても、このような細い筋目が残っている田んぼを見たのは初めてです。
きょうは冷えました。ストーブを点けると、クーは待ちかねていたかのように張り付き状態。随分と長い時間、この体勢のまま固まったように過ごしていました。
昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2009,04,15の日記
映画『UDON』のメインセット"松井製麺所"の跡地を訪れた時の写真を載せていますね〜。
きょうの午前11時頃に撮った写真です。安曇野市三郷の小倉地区にあるシダレザクラで、数年前からは写真を撮りに訪れる人が目立って増えてきたように感じます。
まだ、咲き始めというか、つぼみがほとんどというか、そういう状態でした。この地区は安曇野の中でも比較的標高の高い場所にあるので、咲き始めは少し遅くなるかもしれません。とはいえ、気温の変動の激しい時期ですから、暖かい日が少しでも続けば一気に咲くかもしれませんね〜。なかなか難しいです。
昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2009,04,13の日記
プラチナ萬年筆の#3776 キンギョの写真を載せています。帰省にあたって、母へのお土産として買ったもの。今も使ってくれてるでしょうか。
昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2009,04,12の日記
宇高国道フェリーで瀬戸内海を渡っている時の写真を載せています。宇高航路のフェリーは存続が危ぶまれていますが、ぜひ残しておいてほしいですね〜。いろいろな経路を確保しておかないと、災害時などに困ったことになるかもしれません。
バイクで木曽方面に向かう前に立ち寄りました。塩尻市にあります。善光寺西街道(北国西脇往還)の宿場のひとつです。
真言宗のお寺で、信州筑摩観音霊場第二十六番札所でもあります。
元々は桔梗ヶ原のほうにあったそうですが、戦(いくさ)で焼失したことを契機にこの地に移されたとか。その後も宿場の火事で被災したりと、なかなか波乱に満ちた歴史をもっているようです。
この郷原宿は観光地化していないので、観光客を対象とした駐車場はもちろんトイレも用意されていません。路上駐車というわけにもいかないので、バイクはこのお寺の駐車場を利用させていただきました。
中信地域でよく見られる妻入りの本棟造りの家です。屋根の上の飾り板は「雀踊り」と呼ばれるものです。
こちらは「山城屋」。各家に屋号が付けられています。
家がすぐに道路に面しているのではなく、少し奥に建てられていて、道路との間に庭があるということが、郷原宿の特徴のひとつのようです。
昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2009,04,10の日記
四国の実家へ帰省ツーリングに出発したんですね〜。今年は4月下旬に帰るつもりです。
落合発電所と「木落し坂」上部とを結ぶ道の途中で見つけました。その形から「ヤマカマス」などともよばれるそうです。
このユニークな形状のウスタビガの繭を見つけると、ついカメラを向けてしまいます。