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2009/05/01

奈良から安曇野へ

朝8時にホテルを出発しました。高速道路利用で安曇野に帰るのにはいくつかのルートがあるのですが、ネットで所要時間を調べてみて下記のルートに。

  • 国道165号線で三重県津市へ
  • 久居ICから伊勢自動車道
  • 亀山Jctから東名阪自動車道
  • 四日市Jctから伊勢湾岸自動車道
  • 豊田Jctから東海環状自動車道
  • 土岐Jctから中央自動車道
  • 岡谷Jctから長野自動車道
  • 豊科ICで一般道へ

伊勢湾岸自動車道は往路でも利用したわけで(→2009,04,12 「四国へ 3」)、巨大な斜張橋が連続する名港トリトンを今度は逆方向から渡ることとなりました。

渋滞箇所は一カ所も無く快適でした。ただ、伊勢自動車道を走行中に前方を走る大型トラックが突然車体を大きく左右に振るような動きを見せたことがあって何事かと思ったのですが、路上に散乱していたタイヤの破片を避けようとしたんですね~。しばらくすると路肩に右前輪タイヤをバーストさせたトラックが停まっていました。車間距離を空けて走っていたので余裕で対処できましたが、やはり高速道路で車間距離をとることの重要性を再認識しました。

安曇野のわが家に到着したのは、ちょうど午後4時。津市まで一般国道を使ったことと、初めて走る高速道路だとSAがあるたびに覗いてみたくなってしまう性分のため、けっこう時間がかかりました。

ホテル ウェルネス大和路



今回宿泊したホテルです。所在地は明日香村の隣の桜井市ですが、明日香村との境に近い場所で散策やサイクリングの起点としてはちょうど良い場所でした。

いろいろな宿泊プランが用意されているのですが、選んだのは朝食バイキング付きのもの(夕食は無し)。風呂とトイレは部屋には付いていませんが、8畳の和室をひとりで使って一泊4,900円でした。

もしまた奈良に行くことがあれば、再びここを利用したいと思っています。

明日香村 散策 2

昨日の続きです。→2009,04,30 「明日香村 散策 1」

橘寺


石舞台古墳を見たあとは、この橘寺へ。

橘寺は、聖徳太子が父の用明天皇の別宮を寺として再利用したものだそうで、当初は壮大な規模の寺だったようです。

この写真は、西門のほうから橘寺を撮ったものです。

二面石


橘寺には重要文化財がいくつもあるのですが、今回のお目当ては境内にあるこの二面石

向かって右側が「善」の顔、左側が「悪」の顔だそうです。

右の「善面」です。あまり善人の表情には見えないような気もしますが・・・。

こちらが「悪面」。どうでしょうか?

亀石


民家に隣接する場所にあります。愛嬌のある顔と姿ですが、こんなに大きな岩を亀(カエルという説もあるようです)のカタチに加工しようとした目的はなんだったのでしょう。実用性があるかもしれない酒船石よりも不思議な存在です。

鬼の俎


道路脇のほんの少しだけ登ったところにあります。

下の鬼の雪隠と組み合わされて古墳の石室を構成していたようです。この鬼の俎が底石ということのようですから、古墳はこちらにあって、鬼の雪隠のほうが下に移動させられた(落ちた?)のかもしれません。

鬼の雪隠


このように置いてありますが、本来の向きがどうだったのかはよくわかりませんでした。

こんなに大きな石を鬼の俎と組み合わせることができるように加工してあるわけですから、当時の技術というのは凄いものです。

鬼の雪隠の場所から南の方向の眺めです。このあたりには小さな山や丘がたくさんあるのですが、そのどれもが古墳のように思えてきてしまいます。

蘇我入鹿首塚


蘇我入鹿は大化の改新のキッカケとなる乙巳の変(いっしのへん)で中大兄皇子や中臣鎌足らに斬殺されるわけですが、その入鹿の首塚とされている場所です。

背後に見えている林は甘樫丘(あまかしのおか)という丘で、ここに蘇我氏の邸宅があったそうです。

飛鳥寺


蘇我入鹿の首塚からはすぐそばです。蘇我氏の氏寺だったそうですが、この境内で後に蘇我氏を討つことになる中大兄皇子と中臣鎌足が初めて出会ったという話もあって歴史の妙を感じる場所です。