Twitter:raven_xx

2007/07/27

ネコジャラシ


エノコログサです。この草は逆光が似合いますね〜。

きょうの収穫


キュウリナス(バケツの下半分)だけで大変な量です。どんどん食べていかないと。

夕方の空


薄く見えているのは、中央の一番高い山が鹿島槍ヶ岳、その左が爺が岳、右側が五竜岳です。→山岳

日没前になって山々のシルエットがハッキリと見えるようになりました。日没時には常念岳も見えていましたね〜。

午前中の空


午前中といっても昼近くに撮った写真です。北西方向、北アルプス(→山岳)が見えるハズの方角を写しています。

雲が北アルプスの山並みに沿うように浮かんでいるのがわかります。

法蔵寺本堂

縁起によると正式な名前は「周岳山新楽院(しんぎょういん)法蔵寺」だそうです。1506年に創建され、1611年に現在の場所に移築されたとか。移築前は豊科の梶海渡(かじかいと)という場所にあったようです。浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。

上の写真、E-410のAUTOモードで撮ったのですが、周囲の明るさに影響されて中央が暗くなってます。普段あまり"Photoshop Elements"で修正をすることはないのですが("iPhoto"で済ませることがほとんど)、試しに「自動スマート補正」というのをやってみました。その結果がこちら。ついでに空の色も少し変えておきました。

さすが"Photoshop Elements"です。便利なものですね〜。


  • 縁起では1608年に松本城主石川光長が移築を命じたと書いてあるのですが、この石川光長というのがどういう人なのかわからないんですよねぇ。初代松本藩主は石川数正で、2代目はその長男の康長だと思っていたのですが、その間に在位していたのでしょうか? それともどちらかの別名なのでしょうか? - raven (2007年07月27日 21時35分35秒)
  • 2代目藩主の石川康長の別名が「三長(みつなが)」なんだそうで、光長=康長ということなのでしょうかね。 - raven (2007年07月27日 21時43分43秒)
  • 松本市公式観光情報ポータルサイト 新まつもと物語」の筑摩神社のページにも「拝殿(長野県宝)は慶長15年(1610年)石川光長の臣、吉田清兵衛が建築。」という記述があります。 - raven (2007年07月27日 22時05分45秒)
  • 本堂は廃仏毀釈により破壊され、再建(1959年?)されたものです。 - raven (2007年07月27日 22時15分31秒)

法蔵寺山門

安曇野市豊科の八十二銀行の北側に法蔵寺があります。このあたりにしょっちゅう出没しているにも関わらず、これまで境内に入ったことがありませんでした。

この山門は1789年に伊藤(柴宮)長左衛門という棟梁によって建てられたもので、長野県宝に指定されています。

この伊藤長左衛門はかなり優れた大工だったらしく、長左衛門が携わった下諏訪町諏訪大社下社春宮の弊拝殿や千曲市戸倉の水上布奈山神社本殿はともに重文となっているそうです。


  • 伊藤長左衛門は上諏訪の棟梁だそうです。 - raven (2007年07月27日 22時16分56秒)

きょうの安曇野は・・・

朝8時の気温は、24℃でした。

朝から青空が広がっていますが、北アルプスには残念ながら雲がかかっています。

気象庁のHPで穂高の気温を確認したところ、午後2時には31.5℃を記録しています。北風が流れているために風通しのいい日陰にいる限りはそれほど暑さを感じませんが、道路は照り返しが強烈です。

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。『2006年7月27日更新の「安曇野の風景と暮らし.ex」』