Twitter:raven_xx

2011/05/31

雲間から山頂部分を見せた常念岳

夕方、久しぶりに常念岳が山頂部分を見せてくれていました。雪の量はかなり少なくなってしまったようです。


発芽したエンサイ

5月20日に種蒔きをしたエンサイ(空心菜)が発芽していました。

ヒルガオ科の植物ということで、アサガオと同じような葉が伸び始めています。

小松菜

下の春蒔き野沢菜と同じく4月15日にタネを蒔いた小松菜です。

どういうわけか育ち具合にかなりばらつきがありますが、大きいものはそろそろ収穫し始めてもよさそうなサイズになっています。


春蒔き野沢菜

4月15日に種蒔きをした春蒔き野沢菜です。このところの雨で一気に大きくなっていました。

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,31の日記

そういえば、今年はミニトマトは植えていないんですよね~。

2011/05/30

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→diary/2010-5-30の日記

ミョウガの苗って、この時期に買ったんですね~。無事に冬を越して、芽が伸びてきています。

2011/05/29

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,29の日記

常念岳の万能鍬の雪形の写真を載せています。

2011/05/28

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,28の日記

いろいろな写真を載せています。

2011/05/27

蓼科湖の円筒分水

ネットでは女神湖にも円筒分水があるという情報があるので、女神湖を一周して探してみたのですが見つけられませんでした。で、蓼科湖の円筒分水茅野市)へ。ここも先に訪れた鷽ノ口円形分水とともにぜひ訪れてみたかった場所です。

蓼科湖の堰堤の下にあります(この写真は、堰堤の上から見下ろすカタチで撮ったものです)。場所はすぐにわかると思います。

説明書みたいなものがないので、この円筒分水についての詳細はサッパリわかりません。

右側の蓼科湖からの水を、手前右側と左奥二つの用水路に分水しているようです。なかなか近未来的な滑らかな造形をしている円筒分水です。

長野県内で訪れていない円筒分水は、(確実に存在しているとわかっているもので)あと1箇所となりました。

2011,05,25 撮影


鳴石

鷽ノ口円形分水佐久穂町)を堪能したあとは国道141号線に出て、北上。国道142号線を経て主要地方道40号線で南下。女神湖方面を目指しました。途中で、今回のツーリングの目的地のひとつである「鳴石」(立科町)に立ち寄りました。

ソフトクリームなどを販売している売店の駐車場から、北側に100mほど入った林の中にあります。「雨境峠祭祀遺跡群」のひとつで、ここで神の降臨を願ったりするなどの祭礼が行われたそうです。

  • 「雨境峠祭祀遺跡群」・・・他に「鉤引石」・「賽の河原」・「与惣塚」・「法印塚」など

周辺では勾玉が多く出土したことから、このあたりは「勾玉原」とも呼ばれるとか。けっこう標高の高い場所ですが、大昔から人々が活動していたんですね~。

案内板のある方からすると裏側ということになるのですが、こちらのほうが不思議感があるので、ひょっとするとこちらが表側(祭祀に際して、人々が集う側)だったのではないかとも思ったのですが、どうだったのでしょう。

2011,05,25 撮影


一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,27の日記

そういえば、今回の四国帰省では、満濃池方面にツーリングに行くことはありませんでした。

2011/05/26

鷽ノ口円形分水

今回のツーリングの一番の目的が、この鷽ノ口(うそのくち)円形分水を訪ねることでした。鷽ノ口地区までは割とスムーズにたどり着いたものの、肝心の鷽ノ口円形分水の場所がわからず(道沿いに案内板等はありませんでした)、地区内を行ったり来たり。バイクで良かったです。

写真の左上が上流部で、石堂川の引き込んでいます。流れてくるゴミを除去するためのゴミ揚げ機が見えています。

側面の穴は全部で47個あり、上村用水に28個を、佐口用水として13個を、そして小山用水として6個を割り当ててあるそうです。

水量が豊富で、この時期を狙って行って正解でした。動画はこちら(YouTube版のほうが高画質です)。

鷽ノ口円形分水の上流側です。右側にゴミ揚げ機が写っています。

2011,05,25 撮影


茶水の池


国道299号線の麦草ヒュッテ入り口付近にあります。麦草ヒュッテとは道路を挟んで反対側です。

まだ雪が残っていたのか、先日降ったという雪のためなのか、このような景色に。久しぶりに雪の上を歩きました。

2011,05,25 撮影

御射鹿池

「みしゃかいけ」と読むようです。

茅野市にある人工の池で、奥蓼科温泉郷に向かう県道191号線沿いにあります。東山魁夷の「緑響く」の風景モデルとなったとされる場所ということで、立ち寄ってみました。

写真の方向が絵と一致しているかどうかはわかりませんが、静かな水面に樹々の影が映っている様子は確かにきれいでしたね~。

2011,05,25 撮影


一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,26の日記

そういえば、禁煙を始めてから丸2年が経過しました。吸いたいという欲求にかられたことが一度も無いまま、今に至っています。

2011/05/25

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,25の日記

夫婦堤 十割 そば盛松本市波田)に行ったんですね~。

2011/05/24

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,24の日記

2011/05/23

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,23の日記

そうそう、PowerBook G4の調子が悪くなってきた頃でした。

2011/05/22

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,22の日記

映画『阿弥陀堂だより』で、おうめ婆さん(北林谷栄)が暮らしていた阿弥陀堂を訪れた時の写真を載せています。


2011/05/21

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,21の日記

木島平村飯山市方面にツーリングに出かけていた日でした。

2011/05/20

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,20の日記

2011/05/19

スズラン

花壇西側のスズランです。今年はどういうわけか、たくさん咲いています。

シバザクラ

今が見頃という感じ。

オキナグサ

花壇の南西側に植えてあるオキナグサ(翁草)ですが、すでに花弁は散ってしまっています。

オダマキ

花壇北側のオダマキです。四国に帰省している間に開花し、帰ってきた時にはもう見頃を終えつつある状態となっていました。


一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,19の日記

連続テレビ小説「おひさま」のロケが行われたことでも注目されている中山高原大町市)の菜の花畑や「まぼろしの池」の写真を載せています。

2011/05/18

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,18の日記

奥裾花自然園長野市鬼無里)に行った時の写真を載せています。

2011/05/17

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,17の日記

2011/05/16

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,16の日記

2011/05/15

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,15の日記

そうそう、糸魚川市から(当初は行くつもりがなかった)上越市のほうまでバイクで走ってきた日でした。

2011/05/14

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,14の日記

2011/05/13

別子銅山 東平地区 4

5月9日(月)に訪れた別子銅山 東平(とうなる)地区の写真の続きです。

トンネル


「中マンプ」と呼ばれていたトンネルの喜三谷側の出入り口です。

こちらは旧採鉱本部・第三通洞側の出入り口です(通称「第三広場」にあります)。

第三社宅跡


東平の鉱山電車基地から第三通洞方面に歩いていく途中にある鉱山住宅跡です。「第三社宅」の「第三」というのは、造成・建設の順番ではなく「第三通洞」に由来しているそうです。


  • 1921,11,09 9戸の社宅
  • 1967年 18戸あった社宅を撤去

東平採鉱本部跡


左側に第三変電所跡が、右側の方に「中マンプ」と呼ばれた喜三谷から続くトンネルの出入り口や火薬庫跡があります。中央が第三通洞方面です。

沢(寛永谷・柳谷)を暗渠として平地(通称「第三広場」)を造成し、2階建ての採鉱本部の他に各種の施設(機械修理工場・木工場等)を建設したそうです。


  • 1916年 採鉱本部が東延からここに移される
  • 1928年 採鉱本部は東平中心部に移される
    • 採鉱本部の建物は東平倶楽部として利用されることに
  • 1930年 採鉱本部は山麓の端出場に移される

火薬庫跡


中には爆薬庫・普通火薬庫・火工品庫などがあり、ダイナマイト等が保管されていたそうです。

旧第二探坑坑道を利用した設備で、万が一爆発事故が発生しても爆風が直接外に出ないような構造となっています。

マムシに注意するようにという看板があったので、長居することなく退散しました。


  • 1912年 設置
  • 1968年 閉鎖

第三変電所跡


この「第三」も、(変電所の順番等ではなく)「第三通洞」に由来しているそうです。

三相交流用の碍子が並んでいます。

機械類は撤去されていますが、内部が当時のまま残されている建物は別子銅山関連施設ではここだけなのだそうです。

階段の向こう側は和室になっています。

1階右奥に進むと、かまどが。さらに進むと、風呂やトイレがありました。

2階の様子です。

入り口近くの窓と壁を撮ってみました。


  • 1904,09 建設
  • 1965年 閉鎖

第三通洞


第三通洞手前の橋梁部には、鉱山鉄道レールが残っていました。

標高は744mだそうです。

元々、第三通洞は「三角(みすま)」という鉱床の中の富鉱部を狙って掘られた多目的坑道なのだそうです。

内部は真っ暗でしたが、入り口の柵を利用してカメラを固定して撮ってみました。

このあとは往路を引き返しました。


  • 1894年 開削に着手
  • 1902年 完成
  • 1911年 日浦通洞完成
    • 東平~日浦が全長3,990mのトンネルで結ばれる
  • 1973年 鉱山鉄道も廃止

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章をUPしていました。→2010,05,13の日記

2011/05/12

別子銅山 東平地区 3

5月9日(月)に訪れた別子銅山 東平(とうなる)地区の写真の続きです。

鉱山車輌・運搬器展示場


このトンネルが「小マンプ」と呼ばれている場所なのかもしれません。とすると、上にはプールがあったハズですが・・・。


2t蓄電車


鉱車や人車の牽引役として使われていたそうです。「蓄電車」というよりは、「蓄電式(バッテリー式)機関車」といったほうがわかりやすいかも。

他に4t・6tの機関車もあったようです。

運転席です。進行方向に対して、どちらかというと横向きに座る感じで運転していたのでしょうか。

照明の関係で上の写真とは色が異なっていますが、同じ車輌です。

かご電車

「電車」となっていますが、動力を持たない客車です。鉱山関係者以外の人も無料で乗ることができたようです。

ベンチ状の椅子(2人掛け?)が中央出入り口の左右に2つずつあります。


  • 1938年~1973年
  • 東平坑口~日浦坑口
    • 約4,000m

坑木運搬台車


坑内で使用される材木をはじめとして、いろいろなものが運搬されたようです。運搬資材に合わせて製造・改造されたいくつかのバージョンが存在していたとか。

三角鉱車


鉱石運搬用としては古いタイプの鉱車なのだそうです。

前後のロックを外すことで、手動でバケットを左右に傾けることが可能です。

600Bローダー


鉱石をすくって鉱車に積み込みをするための作業車輌です。自走は出来ないので、後ろに機関車が連結されたのでしょう。

バケット部を動かす動力としては、圧縮空気が用いられたそうです。各種の作業用に圧縮空気用の管が坑道内に張り巡られていたのかもしれません。

車輌後部です。バケット部を上下させるためのチェーンが見えています。

充電車

「蓄電車」(バッテリー式機関車)の充電用に用意された車輌のようです。

キブル


立坑で使われた運搬器で、ズリ(破砕された岩石)を運び出すためのもののようです。

立坑の大きさに合わせて、0.7立方メートルのものと1.4立方メートルの容量のものが使い分けられていたそうです。

索道バケット


東平~端出場に設けられた索道で使われた運搬器で、鉱石の他に生活物資などの運搬にも使われたそうです。


一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,12の日記

ラーメン屋 きまぐれ八兵衛で食べた「つけ麺」の写真を載せています。


2011/05/11

別子銅山 東平地区 2

5月9日(月)に訪れた別子銅山 東平(とうなる)地区の写真の続きです。

東平娯楽場跡


貯鉱庫跡の下部まで降りたあとは、再びインクライン跡の階段を使って駐車場に戻る人が多いのですが、林の中に道が続いていたので、そちらに進んでみました。

最初にあったのがこの娯楽場跡で、この橋の先に相当に大きな建物が建っていたそうです。


  • 1912年 建設
  • 1933年 2階建てから3階建てに改築
  • 1968年 閉館
  • 収容人数:約2,000名

保育園跡


長円形の構造物はミニプールか池の跡なのでしょう。その左側に出入り口の門柱が見えています。


  • 1950年 開設
  • 1968年 閉園
  • 東平地区全域の児童(3歳~小学校入学前)が通園

東平生協跡


左側に柵の一部が残っています。


  • 1906年 配給所として開設
  • 1958,06,01 配給所から生協に
  • 1968年 閉店
  • 物資は山麓の端出場から索道東平索道基地に届けられ、インクライン経由で店先へ

住友別子病院東平分院跡


山中の、しかも危険を伴う仕事場に設けられた病院ということで、充実した設備を備えていたようです。


  • 1905,11,01 東平出張所として開設
  • 1909,06 新築され竣工
    • 診療科:内科・外科
    • 本館・病室敷地面積:267.8坪(建物面積:167.32坪)
    • 避病舎敷地面積:97.9坪(建物面積:53.42坪)
    • 普通病室数:12床
    • 隔離病室数:2床
    • 避病舎:9床
    • 医師・職員:内科1名・外科1名・看護士1名・調剤士1名・事務1名
  • 1968,03,31 閉鎖

プラットホーム跡


東平地区見物のメインとなる駐車場は、かつて鉱山鉄道の基地だったところです。写真左側の歩道と花壇のような場所にホームがあり、ここで列車に乗り降りしていたようです。

ここから第三通洞を経て日浦へと電車が通じていたんですね~。所要時間は30分ほどだったようです。

写真の右端に乗ってきたバイクが写っています。


  • 1938年 作業員用の「人車」の後ろに「かご電車」が連結されるようになる
  • 1968年 東平坑の閉坑に伴い、1日2便に
  • 1973年 廃止
  • 朝・昼・夕方の1日3便
  • 特別電車(「特電」)の運行有り
  • 東平プラットホーム~小マンプ(プール下のトンネル)~中マンプ(喜三谷のトンネル)~第三通洞~日浦

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,11の日記

らーめん まるや松本市和田)で「とんこつチャーシュー」を食べて、その写真を載せています。

2011/05/10

別子銅山 東平地区 1

昨年訪れた旧別子銅山に続いて、今年は「東洋のマチュピチュ」とも評される別子銅山の東平(とうなる)地区にバイクで行ってきました。

撮影は、全て5月9日(月)です。

貯鉱庫跡


東平地区の駐車場(かつての鉱山鉄道の基地)から見下ろした景色です。すぐ下が貯鉱庫の跡で、その下には索道基地のレンガ製の支柱が見えています。

索道は写真左側の谷へと延びて、麓にある現在の"道の駅 マイントピア別子"あたりにあった端出場と呼ばれる施設とを結んでいたようです。

鉱山鉄道で運ばれてきた鉱石は、この穴から下の貯鉱庫内に落とされたのでしょう。

貯鉱庫の下部から上部の駐車場方向を見上げた写真です。「東洋のマチュピチュ」と言われるのもわかるような堂々とした遺構です。

中段に、索道基地跡のレンガの支柱が見えています。

しっかりとした石造り。

右上に索道基地の一部が見えています。

最下部にあるこの不思議なカタチをしたこの施設が、どういう役割を担っていたのかがわかりませんでした。説明書きを見落としてしまっただけかもしれませんが・・・。索道やインクラインなどの運搬施設と関係があるような気もしますが、何でしょうか。

インクライン跡


かつてはここにインクラインと呼ばれるケーブルカーのような施設があったそうです。現在の駐車場は、かつては鉱山鉄道の基地だったわけで、下部にある索道基地とをこのインクラインで結んで様々な物資を運んでいたわけです。

現在は220段の階段となっています。貯鉱庫下部へと向かうメインルートです。


  • 1916年 竣工
  • 斜長:95m
  • 仰角:21度
  • 電気巻き上げ式
  • 1994年 220段の階段が整備される

索道基地跡


一旦、貯鉱庫に入れられていた鉱石が、ここから山麓の端出場に索道で搬出されていたわけです。

奥の谷の方向に索道が延びていたことになります。

レンガの支柱は所々崩れて植物が。自然に還りつつあるようで、良い雰囲気が感じられます。


  • 1905年 東平~黒石駅に索道設置
    • ブライヘルト(ドイツ人の索道技師)
    • 自動複式索道
    • 3,575m
    • 2ヶ所(新道・六号)の中継施設
  • 1935年 東平~端出場に距離を短縮
    • 2,717m
    • 支柱:26基
    • 搬器:約80台
    • 速度:150m/分
    • 同年、東平~太平坑の索道も完成
      • 1,312m

鉱山住宅跡


貯鉱庫のさらに下段には、鉱山住宅の一部が保存・復元されています。

長屋形式で、この写真に写っているものだと3世帯分。ひとつひとつにかまどがあるのがわかります。かまどの隣が台状になっていますが、そこに炊事用のシンクが置かれていたのかもしれません。

一世帯分のスペースです。手前から、台所兼土間、居間、そして寝室というように2Kくらいの間取りだったようです。居間と寝室は、それぞれ4畳半くらいの広さのように見えましたが、どうでしょう。

共同炊事場の跡でしょうか。