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2010/05/05

旧別子銅山

昨日(4日)の続きです。

別子銅山記念館に寄ったあと(休館日でしたが)、主要地方道47号線に。途中の"道の駅 マイントピア別子"も、東平(とうなる)地区への分岐点も車列が。早々に旧別子銅山に向かいました。

ちなみに別子銅山の開坑は1691年。閉山は1973年。283年ものあいだ、鉱山経営を住友が一貫して担ってきたわけで、そういうケースは世界的にも稀なことだそうです。

案内図


遊歩道入口に設置してある案内図です。当初はここに来る予定は無かったので下調べもしておらず、この地図だけが頼り。とはいえ、距離も所要時間も記載されていないので、最初の遺構に出会うまでは距離感というか全体の位置関係が把握できなくて不安でしたね〜。

この案内図だけでなく、距離ポストくらいは遊歩道の途中に設置してあってもいいのでは、と思いました。

小足谷集落


閉山後は山に返すというのが別子銅山遺構の方針のようですので、家屋等は撤去され、石垣などだけが残されています。

小足谷近辺にはおおまかに3つの集落があったそうです。

  • 朝日谷集落・・・鉱山労働者
  • 上前集落・・・鉱山事業所などの職員
  • 下前集落・・・商人

この写真だと、右側方向に上前集落が続いていたのではないかと思います。

  • 小足谷醸造所
    • 1870年 別子銅山で酒の醸造開始
    • 最盛期には100キロリットル/年の酒を製造
    • 銘柄:ヰゲタ正宗

接待館


"小足谷接待館"、もしくは"別子接待館"と呼ばれていた施設の遺構です。

元々は一般人が経営していた"泉亭"という店を、1901年に別子銅山を訪れる賓客の宿泊用に改装したのだそうです。

レンガ塀にはなかなかオシャレな意匠がこらしてあります。

敷地内の様子。森に還りつつあります。

小学校


こうした石垣を、小学校の敷地だけではなく山中のいたるところに造りあげたわけですから、すごいものです。

振り返ってみたところです。左側の樹木が並んでいる場所に、かつては小学校の校舎が建っていました。

  • 1886年5月 小足谷に尋常小学校が開校
  • 1889年9月 私立小足谷尋常小学校を建設
    • 続けて高等小学校を併設
  • 1894年 私立別子尋常高等小学校となる
  • 1899年 生徒数:298名、教員:7名

小足谷劇場


かつて、石段の上には山林課と土木課の事務所を兼ねた巨大な倉庫があったそうです。

1890年5月に別子銅山開山200年祭が行われた際、この倉庫が劇場として利用されたことがきっかけとなり、それ以降、毎年5月の山神祭では京都から歌舞伎役者を呼び寄せて芝居が披露されたそうです。

ここに巨大倉庫(劇場)が建っていたわけです。しばらくこの場所に立っていると、芝居を楽しむ当時の人達の姿やざわめきが甦ってくるような気がしてきました。

  • 1889年 建設

高橋製錬所


樹々ばかりですが、正面にはかつて高橋製錬所があり、洋式鉱炉や沈殿工場などの施設が並んでいたそうです。

別子銅山の遺構はここから先にもたくさんあるのですが、今回はここで引き返しました。駐車場からこの高橋製錬所までは、写真を撮ったりしながら40分くらいかかったように思います。

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2009,05,05の日記

今年もわが家の花壇オダマキには、蓑虫がたくさんついているのでしょうか?