昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2010,05,12の日記
ラーメン屋 きまぐれ八兵衛で食べた「つけ麺」の写真を載せています。
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5月9日(月)に訪れた別子銅山 東平(とうなる)地区の写真の続きです。
貯鉱庫跡の下部まで降りたあとは、再びインクライン跡の階段を使って駐車場に戻る人が多いのですが、林の中に道が続いていたので、そちらに進んでみました。
最初にあったのがこの娯楽場跡で、この橋の先に相当に大きな建物が建っていたそうです。
長円形の構造物はミニプールか池の跡なのでしょう。その左側に出入り口の門柱が見えています。
左側に柵の一部が残っています。
山中の、しかも危険を伴う仕事場に設けられた病院ということで、充実した設備を備えていたようです。
東平地区見物のメインとなる駐車場は、かつて鉱山鉄道の基地だったところです。写真左側の歩道と花壇のような場所にホームがあり、ここで列車に乗り降りしていたようです。
ここから第三通洞を経て日浦へと電車が通じていたんですね~。所要時間は30分ほどだったようです。
写真の右端に乗ってきたバイクが写っています。
昨年訪れた旧別子銅山に続いて、今年は「東洋のマチュピチュ」とも評される別子銅山の東平(とうなる)地区にバイクで行ってきました。
撮影は、全て5月9日(月)です。
東平地区の駐車場(かつての鉱山鉄道の基地)から見下ろした景色です。すぐ下が貯鉱庫の跡で、その下には索道基地のレンガ製の支柱が見えています。
索道は写真左側の谷へと延びて、麓にある現在の"道の駅 マイントピア別子"あたりにあった端出場と呼ばれる施設とを結んでいたようです。
鉱山鉄道で運ばれてきた鉱石は、この穴から下の貯鉱庫内に落とされたのでしょう。
貯鉱庫の下部から上部の駐車場方向を見上げた写真です。「東洋のマチュピチュ」と言われるのもわかるような堂々とした遺構です。
中段に、索道基地跡のレンガの支柱が見えています。
しっかりとした石造り。
右上に索道基地の一部が見えています。
最下部にあるこの不思議なカタチをしたこの施設が、どういう役割を担っていたのかがわかりませんでした。説明書きを見落としてしまっただけかもしれませんが・・・。索道やインクラインなどの運搬施設と関係があるような気もしますが、何でしょうか。
かつてはここにインクラインと呼ばれるケーブルカーのような施設があったそうです。現在の駐車場は、かつては鉱山鉄道の基地だったわけで、下部にある索道基地とをこのインクラインで結んで様々な物資を運んでいたわけです。
現在は220段の階段となっています。貯鉱庫下部へと向かうメインルートです。
一旦、貯鉱庫に入れられていた鉱石が、ここから山麓の端出場に索道で搬出されていたわけです。
奥の谷の方向に索道が延びていたことになります。
レンガの支柱は所々崩れて植物が。自然に還りつつあるようで、良い雰囲気が感じられます。
貯鉱庫のさらに下段には、鉱山住宅の一部が保存・復元されています。
長屋形式で、この写真に写っているものだと3世帯分。ひとつひとつにかまどがあるのがわかります。かまどの隣が台状になっていますが、そこに炊事用のシンクが置かれていたのかもしれません。
一世帯分のスペースです。手前から、台所兼土間、居間、そして寝室というように2Kくらいの間取りだったようです。居間と寝室は、それぞれ4畳半くらいの広さのように見えましたが、どうでしょう。
共同炊事場の跡でしょうか。
讃岐ラーメン はまんどに再び行ってきました。
注文したのは、前回と同じく「おまかせ(シークレット)」メニューとして出されている「濃厚魚介醤油そば」(700円)の「麺増し大盛り」ver.(880円)。
魚醤好きなので w こうしたラーメンは大好きです。四国にいるあいだにもう一度くらい食べたいほど。
同じものではなくてもいいので、いかなご醤油の風味を最大限に活かしたラーメンをぜひレギュラーメニューに加えて欲しいところ。帰省して訪れた時に、昨年のようにメニュー落ちしているというのは残念過ぎるものがあります。