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2010/05/08

奈良へ 1

帰省していた四国の実家を午前9時過ぎに出発して、奈良へ向かいました。

来た時と同様に瀬戸大橋を渡り、本州へ。山陽道→中国道→近畿自動車道→西名阪自動車道と乗り継いで、法隆寺ICで下道に。

法隆寺に到着したのは、午後1時半でした。

法隆寺


バイクはどこに駐車していいものやらわからなかったのですが、南大門南側にバイク自転車が並んでいたので、そこに駐車させてもらいました。

思っていたよりも空いていたのですが、それでもさすがに法隆寺。一般観光客の他に修学旅行生や研修中のバスガイドさん達といった団体が次々と訪れていました。

中門を抜けて左側に見えるのが、国宝の五重塔。時代を感じる佇まいです。

一階部分に裳階(もこし)と呼ばれる一見すると屋根のように見えるものがありますが、板だけで出来ているんですよね〜。

国宝の金堂です。こちらも裳階は板となっています。

このあとは拝観コースに沿って、夢殿や中宮寺も見学しました。1時間半くらいはかかりましたね〜。

ビジネスホテル大御門


宿泊したホテルです。ネット予約をしていました。大和郡山市にあります。電車利用だとちょっと不便かもしれませんが、バイクやクルマだと中心市街地に入らなくて済むだけに便利です。

外観はちょっと古びた感じに見えますが、スタッフの方たちが快適な環境を演出しようと努力しているのが垣間見えて、そういう意味では良い宿だと思います。


一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2009.05,08の日記

代かきを終えた田んぼの写真。


2010/05/07

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2009,05,07の日記

クーの写真を載せています。

2010/05/06

骨付鳥 一鶴

夕方、骨付鳥 一鶴の丸亀中府店に行ってきました。

店内の様子です。以前、土器川のほとりにあるお店のほうに行ったことがあるのですが、そちらとは雰囲気が違っているように感じました。とはいっても、数年前のことなので、今は改装してイメージを変えてみたりしているかもしれません。

テーブルにあったメニューです。メインの「おやどり」と「ひなどり」は、ここには載っていませんね〜、先ほど気がつきました。

飲み物関係のメニューはこんな感じ。今回は「エビス黒生」の大ジョッキを。

「おやどり」です。980円でした。上のお皿は一緒に付いてくるキャベツです。

「おやどり」には切れ目が入っていますが、それでも歯で噛みちぎるのには苦労します(箸でひと口分を取り分けるのはほぼ不可能です)。お上品に食べるのであれば、柔らかい「ひなどり」をお勧めします。

「とり」を使ったおつまみメニューがもっとあってもいいかなァ、と思いました。特にアルコールが入る夜の部は・・・。

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章をUPしていました。→2009,05,06の日記

2010/05/05

旧別子銅山

昨日(4日)の続きです。

別子銅山記念館に寄ったあと(休館日でしたが)、主要地方道47号線に。途中の"道の駅 マイントピア別子"も、東平(とうなる)地区への分岐点も車列が。早々に旧別子銅山に向かいました。

ちなみに別子銅山の開坑は1691年。閉山は1973年。283年ものあいだ、鉱山経営を住友が一貫して担ってきたわけで、そういうケースは世界的にも稀なことだそうです。

案内図


遊歩道入口に設置してある案内図です。当初はここに来る予定は無かったので下調べもしておらず、この地図だけが頼り。とはいえ、距離も所要時間も記載されていないので、最初の遺構に出会うまでは距離感というか全体の位置関係が把握できなくて不安でしたね〜。

この案内図だけでなく、距離ポストくらいは遊歩道の途中に設置してあってもいいのでは、と思いました。

小足谷集落


閉山後は山に返すというのが別子銅山遺構の方針のようですので、家屋等は撤去され、石垣などだけが残されています。

小足谷近辺にはおおまかに3つの集落があったそうです。

  • 朝日谷集落・・・鉱山労働者
  • 上前集落・・・鉱山事業所などの職員
  • 下前集落・・・商人

この写真だと、右側方向に上前集落が続いていたのではないかと思います。

  • 小足谷醸造所
    • 1870年 別子銅山で酒の醸造開始
    • 最盛期には100キロリットル/年の酒を製造
    • 銘柄:ヰゲタ正宗

接待館


"小足谷接待館"、もしくは"別子接待館"と呼ばれていた施設の遺構です。

元々は一般人が経営していた"泉亭"という店を、1901年に別子銅山を訪れる賓客の宿泊用に改装したのだそうです。

レンガ塀にはなかなかオシャレな意匠がこらしてあります。

敷地内の様子。森に還りつつあります。

小学校


こうした石垣を、小学校の敷地だけではなく山中のいたるところに造りあげたわけですから、すごいものです。

振り返ってみたところです。左側の樹木が並んでいる場所に、かつては小学校の校舎が建っていました。

  • 1886年5月 小足谷に尋常小学校が開校
  • 1889年9月 私立小足谷尋常小学校を建設
    • 続けて高等小学校を併設
  • 1894年 私立別子尋常高等小学校となる
  • 1899年 生徒数:298名、教員:7名

小足谷劇場


かつて、石段の上には山林課と土木課の事務所を兼ねた巨大な倉庫があったそうです。

1890年5月に別子銅山開山200年祭が行われた際、この倉庫が劇場として利用されたことがきっかけとなり、それ以降、毎年5月の山神祭では京都から歌舞伎役者を呼び寄せて芝居が披露されたそうです。

ここに巨大倉庫(劇場)が建っていたわけです。しばらくこの場所に立っていると、芝居を楽しむ当時の人達の姿やざわめきが甦ってくるような気がしてきました。

  • 1889年 建設

高橋製錬所


樹々ばかりですが、正面にはかつて高橋製錬所があり、洋式鉱炉や沈殿工場などの施設が並んでいたそうです。

別子銅山の遺構はここから先にもたくさんあるのですが、今回はここで引き返しました。駐車場からこの高橋製錬所までは、写真を撮ったりしながら40分くらいかかったように思います。

一年前の日記

昨年のこの日は、このような文章と写真をUPしていました。→2009,05,05の日記

今年もわが家の花壇オダマキには、蓑虫がたくさんついているのでしょうか?